人生の全ては選択である。
つまり生きるとは決断をすることであるといっても過言ではない。
人生は決断、音楽は髭男。
Official髭男dismっていいよね。エモいね。
ん。。。何の話だ。
そんな、髭男じゃなくて決断について思ったことがある。
日本人の決断力の無さって、男性の育児不参加のせいじゃないかなと。
なんでそんな理論に発展したのかってことだけれどもパラパラと記載していく。
私もかれこれ30年程生きてきて、山ほど決断してきた。
正直、学生までの決断は自分のことだけ考えていれば良かった。
しかし歳を重ね、働いたり、結婚したりという他人を巻き込んでの決断が必要になってきた。
そこでは、他人からの意見や想いも考慮して決断しなくてはならない。
そこで個人の決断と、複数人での決断で感じたことがある。
決断に何を求めるかってのが、スゲぇ重要。
どういうことかって言うと、一般的に男女では決断に求めるところが違う。
男が決断に求める最重要なものは、結果である。
一方女は、決断までのプロセスを求める。
例えば、よくある話のデートで「何食べたい」問題である。
男が女ってめんどくせぇと思い、女が男に何で私の想いが分からないのという、世界が終わるまで解決されない難題である。
これは、男にとって「何食べたい」問題は寿司でも焼肉でもパスタでも何でもいいから結論としての結果が重要である。
しかし女にとって「何食べたい」問題は、寿司を検討した、焼肉を検討した、パスタを検討した、二人で決断した、お店のネットの評判も良いという決断までのプロセスが大事である。
ここで日本の社会を考えてみるとバリバリのプロセス重視だよ。
日本社会は男性主義といってもいいのに、なぜか決断においてはとっても女性的である。
端的にあらわすお言葉に「お役所仕事」ってのがある。
決まったことしかできませんってやつ。
つまり、結果よりプロセスが大事。プロセスからはみ出せません。
この「お役所仕事」は役所の対応に対して不満を言う時に、言い表す言葉だけれども、一般企業でも学校でもそうだけど日本人はプロセスが大好きである。
プロセスに支配されていると言っても過言ではない。
会社でも経営陣等の意思決定者が決めたことを粛々とすることが求められる。
業績が良くなることよりも、決められたことをする方が大事。
目標の営業数値よりも、少なくて文句を言われるのはわかるが、多くても文句を言われたりする。
学校もプロセス重視である。
テストにおいて問題作成者が決めた答えにたどり着くことを求められる。
つまり、プロセスから答えを出すのが日本の教育である。
アメリカだと結果が大事なので答えからプロセスを導き出す。
日本とアメリカでは考えが全く逆である。
答えとプロセスがひとつしかない日本と、答えはひとつ、プロセスはたくさんのアメリカ。
日本とはかなり違う?アメリカ流算数教育で育まれるプログラミング的思考
なので、日本のテストの場合1+1=の答えは?
2と答えることが大事である。
1+1=田とか答えると怒られる。
だったら答えは数字でとか規定してよねという話である。
アメリカだと「2になる数式は」である。
答えは「2−1」「2*1」「5−3」と無限に出てくる。
国語の問題のおもしろ回答もこの類である。
おもしろ回答も的を射ているものもめちゃくちゃある。
答えありきだから間違いになってしまうだけなのである。
面白すぎるテストの珍回答まとめ
大げさは話ではあるが、問題出題者が決めた答えにたどり着くまでのプロセスを重視するから日本の教育では答えとして間違っていないのにXを食らうことがある。
日本人のプロセス主義って何でだろうと思ったときに、ふと浮かんだことがある。
日本人のこのプロセス主義って女性的すぎる。つまり女性的な考え方にさせられてしまっているのだと。。。
んで原因ってなんだろうと考えると、男性が育児に参加しないから子供がプロセス主義になってしまっているんじゃないだろうか。
この女性のみが子供を育てる文化が、日本のプロセス主義を作り出したのではないかなと思う。
結果を出せる決断ができる日本社会にするためには、もっと男が育児に参加しないといけない。
頑張れお父さん!!
育児は男の仕事でもある!!
日本の将来はお父さんにかかっている!!
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