日本での子育て難易度がすげぇ上がっているなと感じる今日この頃。
もっと自由に、子供自身が勝手に育っていくか、子供自身としっかり親が向き合うかした方がいい気がする。
安易に何かのせいにはしたくないけど、インターネットを中心とする情報革命と日本文化が混ざったことで子供に劣悪な環境を加速させたことは確かな気がする。
まぁこれも私が勝手に思っているだけなので、当の子どもたちには今が普通であるので疑問も不満もないのかもしれないけれど。。。
情報量と情報の正確さ
IT業界で働いている身分で、IT投資というものからお給金を頂いているので、あまり言い過ぎると良くないなと思うがインターネットとかITっていらないと常々思う。
なぜならインターネットって大多数の人には毒でしかないからである。
マジで、スマホは爆発して欲しいし(サムスンのバッテリのことではありません。)、
インターネットは機能停止して欲しい(最近の0365とかAWS等のメガクラウドが止まるブームは関係ありません)
2ch創設者の「ひろゆき氏」の名言「うそはうそであると見抜ける人でないと(インターネット掲示板は)難しい」って話である。
人というのは、情報を集めたがる習性がある。
そして厄介なのは、自分が欲しい情報だけを集めるということ。
自分に不都合な情報はシャットアウト。
野球だと27球で試合終わらせるレベルで、シャットアウト。最速でゲームセット。
そんな習性をもつ人間がインターネットという情報の海に浸かったらどうなるのであろう。
自分に都合の良い、自分の欲しい情報だけを大量に集めてしまう。
その結果、理想像とか理想論とかだけ巨大になっていってしまう。
客観的・俯瞰的にみれるタイプの人間ならいいのだけれど、そのような冷静に物事を見れるタイプの人間は2割未満しかいない気がする。
残りの7割は、考えることを放棄し何となく正しそうとか、大多数の意見に流される。
残りの1割はただ本能のまま生きる。
大多数の人は考えることを放棄し、何となく正しそうとか、多くの人の意見だからになびいてしまう。
まぁ自分だけなら勝手にしてねですむんだけど、この何となく正しいという厄介なものを子供に対して押しつけることが酷くなっているような気がする。
これは行き過ぎた文化の発展ってやつなのかもしれんね。
親の理想や社会の理想が高すぎて笑える
親の理想とか、社会の理想とか押し付け過ぎな気がする。
朝っぱら保育園に行くと、忙しさを隠しきれない親が子供に向かって「早くして、なんで出来ないの、言う事聞いて」とか、親の理想を押し付ける姿が散見される。
「(玄関で)お母さん教室先に行くからね。。。(数秒立って)何でこないの!!」と勝手に怒り始める。
そんな家庭の子供は言うことを聞かない。そりゃそうだ。
理想が高そうな、うちの子は周りと違って高貴なんですというオーラ全開の子供は、自分から周りの子どもたちと仲良くなり切れずハブられ孤立気味。
という光景を見て思ったのは、子供は家庭環境をよく現すなと思う。
私の子供も例外なく、私の口癖をしっかりと模倣しているので、とても実感する。
自分が親になったから思うのかもしれないが、親って子供に理想を押し付けすぎている気がする。
「親がこうして欲しい」を子供に押し付けすぎているということ。
会社で働いていて、部下、同僚・上司だって理想通りに動かないのに、子供なんて言うこと聞くはずもない。
なのになぜ、あそこまで親たちは自分の子供は言うことを聞いてくれると思っているのだろう。
そして、これは文句ではないが、例えば保育園で、子供が漏らしたり、吐いたり、怪我したらなぜか保育園が必死に親に謝る。
なんだろうね。社会の許容度ってそんなに下がっているの?と感じる。
子供が怪我をするのは普通だし、保育園が謝ることでもない気がするけどね。
これは違和感しかない。
毎日怪我させているなら、それは保育園としての問題かもしれんが。
あと、公園の注意書きで、ボール禁止、大声禁止、ペット禁止、保護者必須。
もうさ。公園行くの禁止とか出ちゃうレベルじゃない。
ご時世とか、時代とか。。。らしいけど。
なんか子供を信じてあげるとか、自由に色々させて学ばせる機会を減らしているよな。
楽しいとか、興味を持つとかのポジティブ面、いたずらしたりして他人に怒られたり、失敗したりと色々経験するの大事なんだけどね。
怒るの下手すぎ、干渉しすぎ
働いていて思うのは、失敗したことがない人が多すぎるし正解を求めすぎる傾向にある。
デジタルネイティブ世代とかは思いっきり該当する。
なんならバブルの人たちもそうだから、多くの日本人がそうだから教育と日本の文化の問題な気もするけど。
で、失敗したことがない人は総じてポンコツ気味。
なぜなら、チャレンジしない。何かとやらない理由を探して文句や評論ばかりでしない。
そして理想ばかりを言ってくる。
なぜそのような性格になったかは、やはり親に理想ばかりを押し付けられ、禁止禁止で、失敗をするチャンスがなく、窮屈に育ったからだと思う。
子供なんて勝手に育つわけで、親が過干渉するのは結局の所、子供の自己を認めず子供も自分(親)の一部みたいに捉える人が多く没個性になっている。
メディアも立派に育てないといけないみたいな風潮で、やれ東大にいくには、英語を話せないと人生バットエンド、6歳までに自立しないと、とかビジネスのために煽りまくってくれているものね。
日本の理想押しつけ型の子育ては、子育てを難しくさせているだけなように感じる。
1億総中流を目指す文化形成的には、ベストプラクティスな気はするけど、幸福感は低い気がする。
褒めるの大事。怒るのも大事。何より経験が大事。
これが言いたいだけでこの文章書き始めたんだけど、なんか最近の育児って怒っちゃいけない。
自己肯定感のために褒め続けないといけないみたいのが多すぎる。
マジで迷惑。
子供を褒めるのは間違ってはいないし正解だと思う。
だが、それだけに焦点を当てるのは、子育てする親への配慮が足りなすぎる。
褒めないといけないがひとり歩きして、親の精神的負担が多すぎる。
手段と目的のすり替わり、手段の目的化ってやつ。
先にも書いたけど日本人の7割は考えることを放棄して、言われたことや何となく正しいと言われていることをするように出来ている。
そんな思考停止した人々に子供は褒めて育てないといけないと言ったら、まずは頑張ろうとするよね。偉いね。
けど、7割の考えることを放棄した人なんて感情を抑えうるのは苦手だし、継続することも苦手だし、ストレートに言うとポンコツ気味とか真正のポンコツ。
そんなポンコツな親が理想通りできるわけないんだから、そんな無茶な褒めまくろうとかの理想論やめて欲しい。
これの弊害は中途半端に褒めてしまうこと。親の気分で褒めたり、褒めなかったりして、子供が混乱。そして親は褒めれなかった。怒ってしまったとかで勝手に精神的に落ち込む。
クソみたいな負のループが起こる。
もう少し褒める以外にフォーカス当てろよと。
褒める目的は自己肯定感を高め「メンタルが強い子に育てる」なんだから、
「子供が出来たら=褒める」「子供が出来なかったら=励ます」「子供が悪いことをしたら=怒る」「世の中は不条理で理不尽であることを教える」とか世の中の摂理をしっかりと説くようにしてほしい。
褒める一部分特化の暴走止めてほしい。
子供なんて勝手に育つのだから、親が疲れ切ったり、親の過度な期待を子供に押し付けることになる、理想の子育て暴走は止めてなくてはならない。
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